アフリカ3カ国で青年海外協力隊としての活動を経験したことが、今の事業の原点です。
ジンバブエ、ケニア、マラウイとすごした3カ国では、経済的理由で、物ごとをあきらめなければならない状態にある人びとの多さに絶望しました。
中学校に通えなかったからと、30をすぎて中学校にかよいはじめたマラウイ人の友人。
「いつかデザイナーになりたい」
という彼女の夢に、わくわくした日を覚えています。
数年後に再会し、近況を伺うと、彼女は伏し目がちに
「学校の先生のお宅で、メイドとして働いている。」
と言いました。
わたしは彼女の「夢のつづき」を聞くことはしませんでした。
帰国後、28歳で大学に入学したわたし。
10も年の離れた同級生とは、うまく会話もできず、キャンパスはまぶしすぎて、いつも居心地が悪かった…。
そんな中で、唯一見つけた居場所がいわゆるゼミでした。
ゼミでは、メキシコのコーヒー生産者に対する支援事業をおこなっており、わたしははじめてメキシコの大地を踏み、コーヒー生産者と出合いました。
でも振り返ってみると、アフリカ3カ国でも、メキシコでも、わたしは常に「支援する側」にいて、安全地帯から、現地の方に、大きな声でエールを送っているだけでした。
その「声」に気づいた日本の農家さんが、こう言いました。
「杉山さん、農家にとって嬉しいことって何かわかる?」
わたしは、大学の研究室でおこなっている活動内容を熱弁しました。
「それも大事。でもね、まずは作ったものが売れること。売れなかったら農家を続けられず、生活がままならない。」
そしてこう質問されたのです。
「杉山さん、彼らのコーヒー、買っているの?」
わたしは何も言えませんでした。
とても悔しかったです。
「支援者ではなく、共に汗を流すパートナーに。」
そうしてわたしは卒業した年の2011年、株式会社豆乃木を設立しました。