コチラの商品は
和紅茶発祥の地。丸子(まりこ)の丸子紅茶の茎の部分が入ったものです。
高級な丸子紅茶ですが、茎の部分が入っていることで少し手の届きやすい価格に。
でも味、香りは保証付きです。
ー 丸子紅茶(まりここうちゃ) ー
日本の紅茶発祥の地、丸子(静岡市)の丸子紅茶。
丸子は多田元吉翁縁の地であると同時に、国産紅茶発祥の地として呼ばれることもあります。
日本の緑茶紅茶の祖、多田元吉翁の製法の再現、紅茶には不可能と言われていた、やぶきたを独自に開発した技法により実現。
本山茶標高600メートルの実生からの在来種による紅茶製造を行っています。
ー 国産紅茶の歴史 ー
明治初期から中期の日本では、茶が生糸とともに日本の輸出の主力でした。
特に紅茶については世界の需要が多いことに着目し、茶業振興を図る政府から、多田元吉は努力を認められて明治政府の役人に抜擢され、明治8年から10年にかけて中国、インドのダージリン、アッサムなど命がけがけで巡り、紅茶製造の技術を学び、日本に持ち帰り全国に広めました。
茶の種、紅茶製造方法、病虫害に対する研究、栽培方法、品種改良、近代茶業につながった機械の図面持込み、有機農法の持込み、製造技術等多岐にわたる紅茶製造の技術を日本にもたらし、1881年(明治14年)に初めてインド式製法で本格的紅茶の生産が始まりました。
紅茶の技術は緑茶製造にも応用され、緑茶の大量生産の道を開きました。多田元吉は茶の品種改良や有機栽培、製茶器具の発明、害虫発見、技術者の育成など日本近代茶業発展の基礎を築きました。
ー 生産者【村松 二六(むらまつ にろく】さん ー
境内を遊び場にして子供のころから元吉のことを聞かされていた村松二六さんは、この紅茶発祥地のお茶を絶やしてはならないと、平成元年から本格的に紅茶の復活に打ち込むようになりました。
紅茶の輸入自由化によってインド、スリランカなどから 低価格の紅茶が輸入されるようになると、元吉から続いてきた国産紅茶生産はすっかり止まってしまいました。
二六さんは茶園の土作り、茶樹栽培、紅茶発酵の仕組みなど元吉翁と同じように茶のすべてにわたり研究をしました。
茶業 試験場や大学を訪れて専門家の指導を受けたり、紅茶生産国のスリランカなどに何度も足を運びました。二六さんは「紅茶も一般の農産物と同じように、化学肥料や有害な殺虫剤不使用の有機栽培で、安心安全の美味しいものを作らなければ」と努力を続けた結果、「紅富貴(べにふうき)」の生産に日本で初めて成功しました。
中でも、萎凋器と発酵器は独自開発によるもので、発酵器は国内特許を取得しています。
紅茶は発酵、揉捻、発酵の工程に時間、温度、湿度など微妙な神経を使います。二六さんの紅茶作りは実に職人技です。
また二六さん自作の発酵器は特許庁からも認可され、その他の機具とともに生産者の間で評判となっています。
二六さんが育てていた紅茶用品種「紅富貴(べにふうき)」から作った紅茶は研究の大集成で、輝くばかりの紅色、まろやかな深い味は、ホットでもアイスでも香りが楽しめる絶品です。
独特の釜炒り方式で作る紅富貴の緑茶は味、香りが抜群で、アレルギー性鼻炎(花粉症)に効くメチル化カテキンを大量に含んでいます。
この紅富貴緑茶は花粉症に効くことが最近専門医によって証明され、新聞にも報道されました。